蟹工船とサティシュ・クマール
アースデイ東京の実行委員会に行ったら、久しぶりにOさんがいた。で、Oさんは貧困をテーマにしたキャンペーンをやるそうで、あの名著『蟹工船』を数冊持って来ていた。つまり「みなさん買いませんが?」ということだ。
前から読んでみたかったので、1冊買いました。
『蟹工船』は、1929年に小林多喜二氏によって書かれたプロレタリアート文学の名作で、底辺の労働者が北洋で酷使される様を綴っている。
ちなみに、この小林多喜二氏は、1933年に警視庁スパイの手で捕えられ、東京築地署で特高警察により拷問虐殺された…..とある。反共の嵐のすごい時代だったのだなあとつくづく思う。
一方、来年も日本に来るかも知れないのが、思想家サティシュ・クマール氏。彼は1936年にインド・ラジャスターンに生まれた。厳格なジャイナ教の母親のもとで育ち、9歳で出家。18歳で僧を辞め、ガンジーの描いた新生インドと平和な世界のビジョンを実現するために土地改革活動家になった。彼の生家には、電気も水道もなかった。片道1時間以上の道のりを毎日歩いて畑で野菜を育てていた。あえていえば、貧乏だったのである。
彼はこう考えている。「ソーハム(彼は我なり)」、すなわ「君あり、故に我あり」。すべてワンスとなった一元論である。
ここで私が言いたいことは、二元論と一元論で「貧困」が大きく異なること。
二元論とは、デカルトの言う「分割と分離に基づく世界観」=現代の超資本主義に帰結する。
一元論とは、すべてのものの関係と結びつきに根ざした世界観=すべてに魂を見いだすワンネスの考え方。助け合いが生まれる。
貧困は、今この地球上で最も重要な問題とも言える。そしてその貧富の差は開く一方なのだ。
しかし、この貧困を蟹工船的(マルクス主義的/社会科学的)に見ると、貧者はすさみ、富の平等分配のために力(暴力)で解決をしなければならなくなる。
しかし、サティシュ・クマール的に考えると、金のない状態はむしろ邪念を持たず、自然の恵みを心底から受入れることが出来る「体と地球に優しい生き方」が出来る得る状態と言える。
勿論、過酷な貧困はそうも言ってられないのだろうが、少なくとも日本のプレカリアートは、世界すべての繋がりに感謝し、エコビレッジでの生活を目指せば豊かに生きていくことが出来そうだ。2つの本を読んでそう思った。
『蟹工船』小林多喜二著 (株)金曜日
『君あり、故に我あり』サティシュ・クマール著 講談社学術文庫1706