BeGood Cafe-Archive » 『南三陸町〜気仙沼 2014』

『南三陸町〜気仙沼 2014』

Pocket

2014年2月7日、まず南三陸町に入りました。安倍昭恵さんらの一行と防潮堤の視察です。昼に到着で仮設商店街の「南三陸さんさん商店街」の「はしもと」で腹ごしらえ。ご覧ください、これがキラキラ丼。

このさんさん商店街のみなさんがそれぞれで展開する「キラキラ丼」。ここのは、たっぷりのイクラに鮭ものったイクラ丼。カキフライとシャケフライもあり。みそ汁も付いて、1,800円でした。

腹ごしらえが終わっていよいよ海岸線へ。見えてきたのは噂の防潮堤です。

ここは高さが海水面から約10メートル。ご覧のように防潮堤の内側は土嚢を積んで地面のかさ上げがされています。どこの防潮堤も基本は地面を6メートルほど盛り土し、高さ10〜14メートルにもなる防潮堤を作ります。これが東北沿岸数百キロに渡り作られるのです。
写真のこの防潮堤がなぜここでストップしているのかというと、ここまでが県の予算事業。ここから手前側は市の事業なので。これからなのだそうです。ちょっと笑えました。

バスで気仙沼へ。いよいよ「東北の美しい未来を考えるフォーラム」です。
会場は気仙沼魚市場の大会議室。

03entrance

ここでは、街の復興に尽力している医者や菓子屋さんら、女子高校生2名、そして安倍昭恵さん。
決して防潮堤反対の集会ではなく、さまざまな意見を交換する場でした。賛成も反対もあり。記憶に残った意見を紹介します。
1)防潮堤賛成。そもそも気仙沼はもうダメだ。水産業も復活するかどうか分からんし、若者も減るばかり。だから、これからの気仙沼はシンガポールのように街中きらきらにしてカジノをつくって観光客を呼ぶことしかないのではないか…。(会場にえ〜〜?の声)(シンガポールはカジノでもっている訳ではない。マカオの間違いでは?)

2)美術館の館長の意見。そもそも陸と海に分けて考えてしまうが、海岸線の文化も産業も「陸と海」でなりたっている。つまり、大きく言うと「陸」「陸と海」「海」で構成されているはず。魚を釣って、手を加えて生業とする。それがここの文化でもある。それなのに、ぐるりと防潮堤を作ってしまうと、まさに「陸」と「海」の構造になってしまう。つまり、私たちの生存文化圏「陸と海」がなくなってしまう。だから防潮堤に反対。

3)気仙沼で生まれた漁師さん。お歳は70前後。「俺たちは何代も前からここで漁をして来た。で、震災で家も流されてすべてを失った。でも、俺たちの家もなんもかも海からいただいたモノ。昔から生活すべてが海からありがたくいただいたモノ。だから今回はすべて海に返したんだと思っている。津波をうらんではいない。俺たちの生活はそういうモノなんだ。だから、みなさん、防潮堤は作ってはいかん。これからも海とありがたく付き合って生きたい…」。
この漁師さんはご家族も亡くしているそうだが、この言葉に涙を流さない人はいなかった。

あと、地元の女子高校生が「毎年夏に太鼓を1,000台海沿いに並べて叩く祭りがあり、自分もその日のために練習を重ねて育ってきた。防潮堤が出来るとその祭りも消えてしまう。だから防潮堤は嫌だ!」と言っていた。
僕らは被災地に対してもっと力になれないのか。